ハッピーテイナー

ゆきちゃん

好きが溢れるクリエイターの近代世界

「名探偵ピカチュウ」をみてきた

ネタバレもクソもねーよ観た人間だけが読んでごめんなさい

 


【公式】映画「名探偵ピカチュウ」予告①

 

 最初情報を見たときはゲームもプレイしていたので、「名探偵ピカチュウでスピンオフ映画やるんだ〜」くらいで、

 ビジュアルが出たのと同時に情報として、趣味でもし現実にポケモンがいたらシリーズとしてリアルタッチなポケモンを描き続けていた海外ポケモンファンがキャラデザに携わったことを知って「最近ポケモンが外部アーティストやファンのアーティストを起用するケース多くなったな〜」と実感したっていう

 ポケモンのリアリティなキャラデザに対しての違和感を特に自分は強く感じなかったので、「探偵ピカチュウがモップみたいで可愛い〜」くらいの先入観で見に行きました。

 

 多分、キャラデザの大幅な変更に対しての違和感や嫌悪感がなかったのはアニメポケットモンスターのDP→BWやXY→SMの大幅なキャラデザ変更とか、劇場版ポケットモンスター みんなの物語で慣らされたのもあったり。そもそも私はキャラデザ変更に対しての嫌悪感は強くわかない方なので、あまり参考にならないかも。

 ちなみになぜ嫌悪感がわかないかと言うと、「ポケットモンスターと言うコンテンツの今後の展開にあたっての必要に応じた変更である」って納得があるのと。私がキャラデザよりもコンテンツ方針(コンセプト)の一貫性に重きを置いているからなのだと思います。

 

 ポケモン出戻りオタクの当初はキャラクター(主にサトシを中心とするアニポケ)の一貫性に重きを置いていたので、割とDP→BWが受け入れられなかったりXY内での脚本家によるキャラブレが許せなかったりあったんですけど、劇場版ポケットモンスター20周年作品 キミにきめた!で「アニメポケットモンスターにおけるサトシの役割が放映開始当初から年月を経て変わった」事を理解して、「きっと《ポケットモンスターのキャラクター》のブランドではなく、《ポケットモンスター》としての唯一無二の世界観を今後は売りにしていくんだな」と解釈してからは、かなり大幅な路線変更にも不満を抱かず納得しながら《ポケットモンスター》と言うコンテンツを楽しめました。

 

 で、前置きは長かったですが、そのコンテンツ方針の一貫性に重きを置いているあたしが映画「名探偵ピカチュウ」を観た感想を連ねていきます。細かい内容に触れたらキリがないので、重きを置いていた部分についてのみを抽出したものになります。

 

マジでよかった、大号泣した。

 あの、ホンッ〜ーーー--ーーとうに「今までずっとポケモンを好きでいてよかったし、これからもずっと好きでいさせて欲しいと思えるくらいにポケットモンスターが人生のジャンルとして大切」と感じて最初から最後まで泣いてました。結論としては、2019/07/12公開予定の劇場版ポケットモンスターミュウツーの逆襲 EVOLUTION」がメチャメチャ楽しみになった。

 

 最初の方は「これが、ポケモンと人間が同次元に共存している世界…!」と、世界観の作り込みに感動して「キミの隣にポケモン(頼れる仲間であったり、味方出会ったり、友達であったり)は常にいるんだよ」というポケットモンスターの近年大事にしているテーマ性を画面全体から感じ取って泣いてました。

 ポケットモンスターの年代毎に大事にしているテーマ性についての話は最後にまとめてします。それがコンテンツ方針の一貫性にも関わってきているので。

 

 舞台となるライムシティは「人間とポケモンが美しく調和する街」です。その宣言通り、ポケモンは人間の言う事を聞くための手段となるバトルはしないし、人間がポケモンモンスターボールで捕獲して所有物とする事もありません。完全に人間とポケモンが対等な存在であることに重きを置いた街になります。

 なので、結論として悪役は「人間とポケモンが調和すること(?)を拗らせて人間とポケモンの融合を考え、人間の意識を肉体能力的に強固なポケモンに移す事を完全な調和とした」結果、「ポケモンの意思を奪って人間が優位に立つ」役割になりました。

 この映画の悪役が本当に最初から人間優位思想だったのかは映画内でわからなかったので「思想を拗らせて」と言う解釈にしました。

 

 この悪役の理想の調和を実現するためにはミュウツーの力が必要で〜と言うストーリーになっていたので、ミュウツーが登場します。で、このミュウツーの発言によってポケットモンスターが世に出た1996年から、今まで歩んできた23年間で起こった人間とポケモンの関係性の推移」が明らかになります。

 これはかなりメタ的で、(ゲームの展開≒アニメの展開)=現実世界においての人間とポケモンの関係性の推移、となっています。つまり、全ての世界線の展開においてポケットモンスターというコンテンツの一貫性がポケットモンスター側から提言された瞬間なのかと思います。

 

ゲーム発売からアニメの放送、それによって現実にもたらされたポケモンの役割

 少し映画の内容から話は外れますが、1996/2/27に発売されたポケットモンスター赤緑は、ストーリー性よりも1人の少年(ゲームのプレイヤー)がポケモンの世界を旅して、ひと夏の冒険の思い出のような体験をプレイヤーそれぞれがゲームを通して経験する事をコンセプトとしていたため、初代赤緑をプレイした当時の人たちのポケモンとの思い出を聞くとそれぞれ全く違う感想が出てきます。

 それがなぜかというと、みんなが同じ世界を旅した中で違う体験をゲームの中でしたからです。まあ、バグ技で遊んでたwという人は多いです()

 

 そのテーマのゲームを元に作られたのが1997年から放送されている「アニメポケットモンスター」(いわゆる無印)なのですが、そちらではサトシという少年のひと夏の冒険を軸に話が進んでいきます。この脚本構成をしているのが首藤剛さんで、ポケモンブランディング確立の基盤になったり展開の上での足枷になったりした存在です。

 いわゆる「アニメポケットモンスター」から「アニメポケットモンスター ダイヤモンド&パール」までは、途中離脱となってしまった首藤さんの描きたかった「サトシという少年」を主軸にマーケティングが進んでいたと、あたしは解釈しています。なので、ダイヤモンド&パールで一度アニメは集結してキャラデザが一新して「アニメポケットモンスター ベストウィッシュ」が始まったのだと思います。

 あたしは正直ベストウィッシュだけ全部通して観れていないのですが、DPまでが好きだった人は大体BWが苦手だし、BWがメッチャ好きな人は糾弾されていた時期が長かったので正直過激なファンが多いです。

 ベストウィッシュのテーマは「少年のひと夏の冒険」になっていて、それが「今までのマサラタウンのサトシ」である必要性は正直薄れていて。確かにサトシはサトシなのですが、「アニメの登場人物である1人のキャラクター」から「サトシという概念」に役割が移っています。それが明確な制作意図として提言されたのが《キミにきめた!》です。だから、このシーズン間のファンの亀裂が産まれるのは仕方のない事なのかな〜と思います。ポケットモンスターが描きたいことが変わったよ〜と明確に言われた瞬間なので。

 

 実際ゲームの方でも「ポケットモンスターダイヤモンド&パール」は究極をテーマにしていて、人間とポケモンとの距離感も赤緑→RSE→DPtで推移しています。

 人間にとってのポケモンは年代と共に「未知の生物」→「共存できる存在」→「共に生きる相棒」という形で推移していて、それはゲームでもアニメでも現実世界でも同じです。

 ゲーム「ポケットモンスター プラチナ」で最初のナビゲーターとなるナナカマド博士が主人公たちにかける言葉として印象的なものがあります。

 

 「きみたち ほんとうに ポケモンが すきなんだな?」

 

 これは序盤で博士からポケモンをもらう時に確認される事なのですが、このセリフがもし赤緑の時代で使われていたとしたら「ポケモンが好きもなにもまだ全然知らないよ!」というのが率直な感想になります。

 しかしポケモンが世に出て10年が経ってから発売されたDPtをプレイする層は、生まれた時からポケモンがどこかしらで存在している現実世界に生きています。

 なのでこの「ポケモンが好きであるか」の確認儀式とも捉えられるセリフが使われているのだとあたしは解釈しています。この話、ほんとうに大好きなのであちらこちらでしてます

 つまりこの話、なにが言いたいかというと、発売されて10年経った段階で既にポケットモンスターが世に表現したい事が既に変わってきていると言う事実です。

 

 これ以降のシリーズにおいての細やかな表現の変化の説明は割愛しますが、制作側も人間なので当初作りたかったものと数年後に作りたいものがズーーっと同じである確証はないのです。

 

映画「名探偵ピカチュウ」でのミュウツーの言葉

 そして、ガラッと話は戻って終盤のミュウツーが発した「人間は悪だと思っていたが、善い人間がいる事もわかった」という言葉について。

 

 ここがあたしの一番の号泣感謝ポイントだったのですが、初代劇場版「ミュウツーの逆襲」で、ミュウツーは「わたしは誰だ ここはどこだ 誰が作ってくれと願った。 わたしは、わたしを産んだ全てを恨む。 これは、お前達への逆襲だ。」と、自分を産み出した人間を悪として恨んでいました。なぜ恨んでいるか、というのは是非「ミュウツーの逆襲」(と「ポケットモンスター ミュウツー!我ハココニ有リ MEWTWO SAGA」)か「ミュウツーの逆襲 EVOLUTION」を是非観てください。

 

 この名探偵ピカチュウミュウツーのセリフは初代劇場版に対してのリスペクトを多大に含んだセリフであり、ミュウツーが人間によって世に産み出されてから23年で出した答えが「人間を許す」という事でした。

 ここで言う許せる人間(善)とは、それぞれの個を種別を超えて尊重し合える存在です。それが本当の「調和」である。と言うのが、最初にミュウツー(1つの種)が人間(別の種)に対して投げかけた「わたしは誰だ」と言う質問への、ポケットモンスターが出した答えなのだと。あたしはこの映画を観て解釈しました。

 

 これが、あたしが重きをおいて楽しんでいた、23年前に自分たちが創り出したものに対しての疑問へ、23年かけて答えを出したポケットモンスターの一貫性です。

 正直カタルシスしかないです。だから、あたしは泣きました。自分の"大切だと感じていたもの"が満たされた瞬間だったので。

 

 なので演出として、映画が終わった後にミュウツーの逆襲の予告が流れるのはもう最高だと思います。だからリメイクは3Dなんだな〜とかこのタイミングでリメイクするんだな〜とかが全部意図的につながっていてすごいのでみんな予告までちゃんと目をかっぴらいて観てて!!!

 


【公式】「ミュウツーの逆襲 EVOLUTION」予告2

 

備考として

 映画「名探偵ピカチュウ」はポケモンがいる世界に育ってきたアーティスト達が創り出した公式のファンアートだと感じる部分が多大にあります。その理由は、ポケットモンスターの初代製作者たちが投げかけた問いへのアンサーに携わる製作陣に「ポケモン世代」が多く関わっているためです。

 それはこの映画に限らず「ミュウツーの逆襲 EVOLUTIOIN」についてもそうであるし、近年の展開やコラボを見ていても感じ取れます。

 

 「ポケモンがそばにいたから頑張れた」ポケモンを好きな人たちが、今ポケモンを作る現場に沢山存在しています。中川翔子さんがそのシンボルです。

 

中川翔子 ポケモンが生きる意味を教えてくれた (小学館ビジュアルムック)
 
 

 

まとめとして

 「家族」であったり「友達」であったり、「ゲーム」であったり「仕事」であったり。自分が何かに対するモチベーションの元になる存在が、その人にとってのかけがえのないものである。
 

 人は1人じゃ生きられないんだよ〜って金八先生も言ってたし森久美子さんも歌ってたし。

 

www.kasi-time.com

 

 

終わり